常識・非常識

2008年1月24日 独り言
常識とは、18歳までに身に付けた偏見である、
というようなことを誰かが言っていた気がします。

ザ・うろ覚えですが。

例えを挙げましょうか。
我が家の場合、お箸を正しい形で持つことが常識となっています。
これは偏に父親の教育の賜物だと今更ながらにとても感謝しているのですが、
友人が食事しているのを見ると、決してそうではないことがわかります。
どういう理念を持って父親が躾けてくれたのかはわからないのですが、正しいとされていない持ち方を見るとどうしても違和感を感じてしまうのです。

この例は、王道といいますか、多くの人に正しいといわれている形があるので論じるほどではないのですよ。

問題は、何が正しいのかわからない場合ですね。

これまた例を挙げましょう。
我が家の話ばかりで恐縮ですが、我が家では大学生になったら小遣いを貰わず、机や椅子など本当に必要なもの以外に親はお金を出さないことになっています。交通費も学費も一切出してはくれません。ただ、学費に関して言えば一時的に支払ってくれており、将来への借金として無利息ではありますが年々増え続けております。
これは兄たちにも同じ制度を先に適用していたようなので、我が家では常識となっております。借金の具体的な額を書くと僕自身とてもショッキングなので書くに書けませんが、学費が年間100万円程度を4年間、というのが最低ラインでその他随時借りていたお金が足されますので実際は…思わず頭が痛くなってしまいますね。
きっと皆様のお家はこんな理不尽とも言える制度はとっていない、またはとっていなかったと思います。子供の教育方法に関しての話だったのですが、こういう問題はまさに正解がのだと思います。きっと誰がやっていることも正解で不正解なものなのでしょう。
この問題に関して言えば、大体の人に話すと驚かれます。つまりは彼らの中ではこういう育て方は非常識なのでしょう。

では、質問です。

あなたが言う常識は、本当に社会に通じる常識なのでしょうか。

(ここまでで800字ちょっと)

常識、つまり貴方が当たり前と思っていることが、どれ程身の回りの環境に支えられた脆いものなのか。

常識、というのと近いところで 当たり前、ということについても考えて見ましょう。

朝わき目も降らずに駅への道を歩む。路傍に溢れている季節の変化にも気付かずに。綺麗に晴れた冬空の下でも、寒いな、と空の青さに気付かずただグチを零しながら。
座っていれば誰かがご飯を作ってくれる。いただきます、もごちそうさま、も言わなくなったことに慣れてしまった。
足ばかりが急ぐ帰り道。空に浮かぶ月の変化にも気付かず、地上の明るさに星が消されていることも眼中に無く、ただ急ぐ。

そんな経験、ありませんか?
自分が当たり前と思っている行動に縛られてしまうと、とても大切なことを忘れてしまったつまらない人間になる、と僕は思っています。きっと多くの人に当てはまると思っているのですが尤も、この言葉には語弊がありまして万人に適用されるかと言うとそういうわけでもなく、ただ自然の美しさや感謝の心を忘れてしまった現代人にしか当てはまらないのではないかと思います。

わかりづらいですね。

貴方は、レジを打ってくれた店員さんに ありがとう と素直に言えますか。

(1300字ちょっと)

感謝の心、というのはいつの時代も大切なものだと思っています。たった一言、言うのにほんの数秒もかからない言葉だけれども言った人・言われた人双方の効用即ち満足度を、言わなかった場合に比べて格段に高めるのではないでしょうか。

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ごめんなさい段々書くのが面倒になってきました。

テスト前日に僕は何をやっているのでしょうか。

上の文章がだいたい1450字。
原稿用紙10枚にはまだまだ程遠いですね。

きっと読みづらい文章に仕上がっているのではないか、と思います。
改行の位置がいまひとつつかめなかったり。

いま、僕の中で

たまにはまともな文章も書こうぜキャンペーンをやっているのです。
全然マトモな文章になっていないあたりは、なんというか、そのお察しくださいませ。

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