原語上映。イタリア語でした。キャストはみな日本人。

こういうことを書くと無知で常識知らずだと言われるかもしれませんが、あえて書く。
どうしてオペラは日本語で演じないのだろうか。

日本語が様々な面でオペラに向いていない、という話もありましたっけ。
曰く、発音がそもそも舞台に向いていない。
曰く、メロディに乗せられる歌詞が少ない。
その他諸々。前者は知らないですが、後者は明らか。


後者の話。
一つの音符に対して、
多くの外国語だと一語ないし一音節乗せられるのに対して
日本語の場合は一文字しか乗せることが出来ない。
有名な例ですと、大きな古時計。

英語だと
My grandfather’s clock was too large for the shelf,
So it stood ninety years on the floor;

日本語だと
大きなのっぽの古時計
おじいさんの時計

情報量がかなり違いますね。日本語が意訳を超えて超訳。
正直訳者は凄いセンスだと思います。
後者の話お終い。


今回オペラを観ていて、
声の彩りも意味合いもわかるし、演技の伝えようとしていることもなんとなくわかる。
けれど、致命的に言葉が分からない。
彼らの生きた背景が分からない。
動き一つとってみても、文化が違うからどうしても違和感が生まれる。
物語が悲惨で悲痛なものとわかっても、感情移入がし辛い。
それを補う想像力と知識が足りないんだ、と言われればそれまでですが。

歌い手の技量と美しいメロディは大変満足なものでしたが、不満は高まるばかり。


日本語で、日本を舞台としたオペラが普及することを切に願うのでした。
…それをオペラと呼べるのかはわかりませんが。

加えて…イタリア語を十分に理解出来たとしても、
今度は歌い手のイタリア語の荒さが目に付くような気がしてなりません。
全く違う歌詞歌われても分からない人が大半じゃないのかなぁ。


あとは余談。
チケットが高いのも敷居が高い一因かなぁ、と。
この場合のチケット代というのは需給よりもむしろ生産費用に依存していて
要は上演までにかかるコストが高いんですよ。

舞台装置や衣装は作らなきゃいけない。
マエストロ(指揮者)や役持ちのソリストを始め、舞台指導やオーケストラ、バックを支える合唱要員にも謝礼を支払わなくてはならない。
当然ですが、音出し出来る練習場を連日押さえなくてはならない。

これは予想なんですけど
中核ではない人達(この場合は合唱要員やを代表とする人達としましょう]に対し、稽古の度に都市の定める最低時給額だけでもきっちり払おうとすると…
チケット額が2倍くらいになるのではないでしょうか。むしろそれで足りれば御の字。
まぁそういった時給換算で支払われることはなく、一般的には交通費+αくらいのようです。恐らく、α<Σ交通費


大儲けとは程遠い世界ですね。
欧米ではオペラの観賞が非常に安価だという話を良く聞くのですが、日本との違いは何かと考えると…
やはり敷居の高さなのでしょうかね。

日本の場合は供給過多のような気もしますが。
それでいて上演にはかなりのコストはかかるから、チケット代金という敷居は下がらない。


時間の都合でここまで。1440文字。

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